一週間de資本論 第2回「労働力という商品」の視聴メモ

番組詳細

タイトル: http://www.nhk.or.jp/tamago/program/20100930_doc.html
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放送日: 2010年09月28日(火)
再放送: 2010年10月05日(火) 午前5:35〜
内容:

マルクスの「資本論」を分かりやすく読み解く。マルクスは労働者たちに「資本論」は第8章から読めと言った。なぜなら第8章には、机上の理論ではなく、生きた労働者のさまざまなエピソードが登場するからだ。2回目は「労働」をテーマに第8章から"労働力"を分析し、資本主義の秘密に迫る。後半はNPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局次長の湯浅誠氏が登場。生活に困っている人たちを現場で支え続けてきた湯浅氏が「資本論」が持つ現代性を読み解く。

出演者

以下、視聴メモ。内容は番組を書き取っただけのものですが、(私自身が理解しやすいよう)だいぶ加工しています。あしからず。

今、なぜ資本論なのか?

資本論が世に出た19世紀、ヨーロッパでは産業革命によって労働環境が大きく変化していた。多くの労働者は劣悪な条件のもと、僅かな賃金で働かされ、不況になれば職を失い、困窮を極めていた。そんな労働者たちのために、資本主義の実態を暴いてみせたのがマルクス資本論であった。
そして、現代の日本。長引く不況の中、リストラや派遣切りで職を失い、貧困に追いやられる労働者が増えている。そこには、まさにマルクス資本論で描いたむき出しの資本主義の姿が映しだされている。
今、なぜ資本論なのか――労働をテーマに読み解く。

第8章 労働日

マルクス自身も第8章から読むようにすすめている。第8章には労働者の姿が描かれており、それを是非見て欲しい、労働者にこそ資本論を読んでもらいたいと考えていたのだ。
マルクスは、当時の労働者の証言をもとにその過酷な労働の実態を明らかにしている。ある壁紙工場では、繁忙期には大人も子供も朝6時から深夜までほとんど休みなく働かされていたという。

子供たちはしばしば、疲れで目を開けていられなかった。実際、ワシらでさえ目を開けていられないことがよくあった。

労働者 W・ダフィ の証言

さらに、数百人の乗客が亡くなった鉄道事故を分析している。

10年ほど前は8時間労働に過ぎなかった。この5, 6年の間に14時間、18時間、20時間と引き上げられ、バカンスなど客が多いときには40, 50時間休みなく働くことも珍しくなかった。

事故を防げなかった鉄道員の声

そして、こう結論づける。

資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えない。

当時の資本家らは、労働者たちの力というものをほとんど無視し、何をやっても良いという傾向があった。マルクスは、そうした当時の労働者たちの気持ちを汲んで理論的に、正確に資本主義の実態を暴こうと考えた。

労働力も商品

  • 商品の使用価値とは、使って役に立つということ。
  • 商品の交換価値とは、他の商品と交換するときの値打ちのこと。それは通常、貨幣の量。つまり価格によって表される。

労働力も商品である。すなわち、労働力にも使用価値と交換価値がある。

  • 労働力の使用価値とは、労働をする/させるということ。
  • 労働力の交換価値とは、労働者が働いたこと(労働力を売ったこと)に対する賃金のこと。いわば、労働力の売値であり、それが労働力の価値である。

資本論によれば、労働力の価値というのは(労働者が翌日も元気に働くために)衣食住にどれだけの費用がかかるかによって決まるという。資本家はそれを賃金という形で労働者に支払う。

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労働者が1日生活するのに必要な労働時間を必要労働時間という。この必要労働時間は、労働者が生きるために必要な賃金でもある。ところが、この必要労働時間だけでは、資本家には何の利益もならない。
例えば、労働者は生活に必要な1万円分の労働をしたとする(これが必要労働時間)。それで、資本家は必要労働時間分の賃金1万円を支払う。しかし、これでは、資本家にしてみればプラスマイナスゼロなわけだ。
資本家は、利益を得るために労働者をさらに働かさなければならない。これを剰余価値と呼ぶ。剰余労働時間、これは資本家による搾取と見ることができる。
搾取というと聞こえが良くない。資本家自身は価値通りの交換、すなわち等価交換をしていると考えているからだ。資本主義社会においては、見方によって資本家が利益を得ているにも関わらず、ごく普通の等価交換に見えてしまう。

なぜか?

(前述の例と重複するが)まず、労働力という商品を労働者の側から見てみよう。労働力の交換価値とは、労働者が翌日も元気に働くための費用だ。資本家はそれに見合う賃金を支払う。確かに等価交換は成立している。

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今度は、資本家の側に視点を移してみよう。実際には、資本家は手に入れた労働力を当初の交換価値を超えて使う。よって、労働力は当初以上の価値を生み出し、資本家は利益を得ることができる。これが剰余価値であり、それを得ることが搾取と呼ばれている。
つまり、労働力は資本家が使うことによって交換価値以上の価値を生み出す特殊な商品であると言える。

労働日とは、丸1日24時間のことであるが、その中から休憩時間は控除される。
なぜなら、それがなければ、労働力は新たなサービスを提供できなくなるからである。

資本家は、労働者を絶対的に働かせる(長く労働時間を伸ばす)ことによって剰余価値を得る。そういった行為を、マルクスは絶対的剰余価値と呼んでいる。
ところが19世紀後半、ヨーロッパの国々では工場法などによって一日の労働時間が制限されるようになり、資本家はこれまでのように絶対的剰余価値を得ることが難しくなっていった。
そうなると、その制限の中で利益を上げなければならない。資本家は、労働者の必要労働時間を短くすることによって自らの儲けを増やそうとした。このように得る利益を、マルクスは相対的剰余価値と呼んだ。
必要労働時間を短くするには、機械を導入し労働時間を短縮し労働強化を図ることになる。しかし、機械が入ってくることで必要労働時間は減るが、それだけに留まらず、人間自体が必要でなくなり労働者がリストラされる可能性が出てくる。

機械にとってかわられる

機械類によって直接必要でない人口に転化させられた労働者の一部は、(中略)労働市場を飽和させ、労働力の価格をその価値以下に引き下げるのである。

機械の出現によって労働者は職を失う。そして、失業者が沢山いることによって現実に働いている他の労働者の賃金をも引く下げてゆく効果を持つ。

資本論が持つ現代性を掘り下げる。ここから湯浅誠氏が加わわり対談形式となる。

※敬称略です。
堀尾「19世紀に書かれた資本論が21世紀に注目されているのはなぜか?」
湯浅「もともと、市場原理というのは弱肉強食。生きてゆくことがままならない人も出てしまう。そこで政府の出番。政府は、市場原理とは別の理屈――税を取って分配する――という中で人々の最低限の生活を支えるという役割を期待されている。しかし、その役割が経済的な理屈に飲み込まれてしまった。私はそれを『政治が人間の手触りを忘れた』と表現している。そういった期間が長引いてしまったため、資本論が描くような世界に近づいて来てしまったのではないだろうか。」

彼らは資本の軽歩兵をなし、資本はその欲求に応じて、あるときはこちら、あるときはあちらと動かす。
行進していないときは「野営している」。

これは当時の派遣労働者を説明する文章である。軽歩兵とは、一兵卒であり適当に自由に動かせる兵隊のことである。仕事があるときは仕事に就くが、仕事がないときは適当に放り出される。放り出されたときどうするか――野宿するしかない。つまり、どうにでもなる労働者のことをこのように言い表しているのだ。
湯浅「かつて、高度経済成長を支えた日雇い労働者たちは飯場から飯場へと渡り歩いていた。今では、劣悪な労働条件で派遣の人々が――リーマンショックの時に一斉に派遣切りが起こったが――仕事を失い寮を追われる。そのままホームレス状態になるケースもある。他方で、そうならない人たちもいる。雇用保険を受けることのできる人たちだ。雇用保険があることによって、仕事を失っても次の仕事までの当面は生活が支えられる。ホームレス状態にはならない。そこが分かれ目になる。」
堀尾「セーフティーネットで救える人と、こぼれ落ちてしまう人。」
的場「まさに、19世紀の労働者にはセーフティーネットがなかった。大都会に出てきた労働者は誰ひとり頼る者もなく、悲惨な生活をしていた。」
湯浅「男性正社員が家族を支える――日本型雇用システムとか呼ばれていたもの――もそれなりにうまく回っていた。企業が生活金を支払う代わりに、労働者はサービス残業をも厭わない・転勤もするといった仕組みだ。なかでも長時間労働は有名。そのような仕組みで、絶対的剰余価値はドンドンと生み出され、その上、自分たちで改善運動などと積極的に仕事の効率も上げていたわけだから、相対的剰余価値もドンドン増える。よって、企業はそれなりの賃金を支払っても、それなりの見返り(生産性)があった。だが、その仕組みがだんだん壊れてきた。さらに、放り出された非正規の人々の存在が正規の人々の賃金を下げる。やはり全体を守るためには正規・非正規を共に含めた包括的な取り組みによって働く人々の立場を守っていかないと、正規の人々も生き残れない。」
堀尾「雇用もグローバル化しており、賃金が安くても構わないという外国人労働者もますます増えるのでは?」
湯浅「そこで例外を設けてしまうとよくない。外国人労働者は賃金が安くても構わないという例外。かつて、主婦パートや学生パート、日雇い労働者の人々がそのように扱われてきたが、例外を設けてしまうと、そのような人々を梃子に全体の賃金が低下してしまう。さらに、賃金が下がっても暮らせる仕組み――すわなちセーフティーネットがあればいいのだが、それもない。となると、生活するために働くという根本の部分が壊れてしまう。」
湯浅「マルクスは労働者(人間)のことを草食動物だと言っている。人間には、まず共同体があり利己心といったものは本来無かったと。時代によって利己心が生まれてきた。だから、生きるために他人を踏みつけるといったことは本来ありえないのだと。それをもっとも自覚しているのは虐げられた労働者だが、現実では虐げられているが故に足を引っ張ってしまう。しかし、(前述の通り)お互い同士助けあうことができる可能性は秘めている。」
湯浅「市場原理だけではうまくいかない。市場原理は弱肉強食に走る。弱肉強食で済んでしまうとしたら、それは動物の世界であって我々人間の世界ではない。そこでうまくいかないものを様々な形で――政府の役割でもあるし、私たち市民の役割でもある――で補いながら、皆が生活できる条件を整えていかなければならない。それは、放っておくだけでは出来ないということを(資本論から)学ぶことができる。」