一週間de資本論 第1回「資本の誕生」の視聴メモ
番組詳細
タイトル: http://www.nhk.or.jp/tamago/program/20100930_doc.html
放送日: 2010年09月27日(月)
再放送: 2010年10月04日(月) 午前5:35〜
内容:
難解なことで知られるマルクスの「資本論」が今、再び注目されている。そこには貧困や派遣切り、恐慌など資本主義の"いま"が描かれているからだ。4回連続でマルクスの「資本論」を分かりやすく読み解き、テーマに沿ったゲストを迎え「資本論」の世界に多角的に迫る。1回目は、第1章の「商品」の分析から「貨幣」が「資本」へと変化していく過程を読み解く。後半は経済アナリストの森永卓郎氏が登場。現代日本の「資本論」ブームの火付け役、神奈川大教授の的場昭弘氏と共に、マルクスの"オタク"な一面も紹介しながら「資本論」に迫る。
出演者
硬い内容を期待していたので少々ガッカリした。特に後半…
以下、視聴メモ。
今、なぜ資本論なのか?
資本論は1867年、カール・マルクスによって書かれた。その資本論、かつては社会主義国の成り立ちに強い影響を与えていた。しかし、20世紀後半に次々と社会主義の国々が崩壊してゆくなかで、時代は資本主義の一人勝ちとなり、資本論が読まれることは少なくなった。
ところが、2008年の金融危機によって世界中で貧困と格差が急速に拡大し、状況は一変する。それは正に資本論が描いた「むき出しの資本主義」の姿であった。
マルクス
- 1818年、ドイツ西部のトリーアで誕生。裕福な家庭に育ち、読書を愛した。
- 18歳でベルリン大学に入学し、哲学を学ぶ。
- 卒業後は新聞記者になる。攻撃的な記事で知られた。
- 25歳でフランスへ。しかし、権力批判で政府に目を付けられ、フランスから追放命令が出される。
- その後、ヨーロッパを転転とし、1849年、イギリスへ亡命。その時、マルクス31歳。妻と3人の子持ちであった。
- ある時、長女のジェニーが父であるマルクスに次のような質問をしたという。
- 亡命後のロンドンでは、連日、大英図書館に通いつめ経済学の研究に没頭。しかし、稼ぎのないマルクス一家は困窮を極める。
- 次男、三女、長男と、三人の子供を次々と病気で亡くした。棺を買うお金さえなかったと言われている。
- 49歳の時、1冊の本を書き上げる。「資本論 第1巻」である。
学問をするのに、簡単な道などはない。
だから、ただ学問の厳しい山を登る苦労をいとわないものだけが、輝かしい絶頂を極める希望を持つのだ。
資本論 序文
(第2巻、第3巻は彼の死後に友人であるフリードリヒ・エンゲルスの手によって編集・出版された。)
世界は商品でできている
資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。
だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。
第一章 冒頭
「資本主義の基本的な形」とは「すべての物が商品として現れている」こと。
商品とは市場で売られているもの。いわば、商品は資本主義社会を形作る細胞である。この細胞を分析することで、その全体像である資本主義を分析しようということ。
商品には2つの価値がある
あるものの有用性が使用価値となる。
われわれが考える社会形態の中では、商品の使用価値は同時に交換価値の素材的な担い手である。
資本論によれば、商品には使用価値と交換価値という2つの価値があるという。
- 使用価値…人間の欲望を充足させること。
- 交換価値…商品を交換する際には、どれ程の量の商品と交換したら良いか判断する。その量のこと。
- 使用価値の例
- パンはお腹を満たすために、服は寒さを凌ぐために使われる。
- 交換価値の例
- ボールペン3本とパン2個を交換する際(ボールペン3本 = パン2個)、お互いに欲しいと思っているから交換できるわけだが、お互いの欲望と言うよりもどれ程の量が等しいのかという量についての考えが一致した場合に交換は成立する。
では、その量とは何か? そもそも、何らかの共通項があるから交換が成り立つのである。その共通項とは労働だ。すなわち、交換が成立するのはどれだけの労働を費やしたかというお互いの労働の価値が等しいときだ。交換価値における量とは労働価値である。
等式を広げてみよう「ボールペン3本 = パン2個 = カップ麺 1個 ...」
この等式は永遠に展開してゆく。これら全てに共通する労働。これが労働価値説と呼ばれているものである。
商品から貨幣が生まれた
労働価値説によれば、全ての商品はそれに費やされた労働の量に応じて交換することが出来る。
そして、上記の等式のような交換を繰り返しているうちに、ある特別な商品とイコールで結ばれるという。それは金だ。
金は、その美しさや稀少性からあらゆる商品と交換できる特別な地位を得て、様々な商品を流通させる貨幣となった。
なぜ金が選ばれたのか?
考えうる要因は多い
- 人間の、魅惑的な物に対する欲望
- 金は腐らない・錆びない
- 金はどこまでも薄くできる
- etc.
金は商品として特殊であった。人類の歴史上、様々な商品が貨幣としての可能性があったが最終的に選ばれたのは金であった。そして、現在でも金が持っている重みというのは大きい。
流通としての貨幣
W = G = W (ヴェーゲーヴェー)
- Ware /vaːrə/ = 商品
- Geld /gɛlt/ = 貨幣・お金
すなわち「商品 = お金 = 商品」とは
- 商品を作り
- それを売ってお金を得て
- そのお金でまた別の商品を買う
という行為を表している。
この W=G=W を様々な人が繰り返すうちに、やがて次のような発想を持つ人物が現れるとマルクスは言う。
その発想とは G=W=G である。お金で商品を買い、その商品を売ることによってまたお金を手に入れる。すなわち、お金そのものを手に入れたいという欲求を表している。
とはいっても、この形は不自然である。100円で買ったパンを100円で売ることはまず無いからだ。
通常、G=W=G ではなく G=W=G' となる。これは、100円でパンを買い、そのパンを120円で売るという形だ。20円増えた分を ' で表している。この貨幣は先程の流通としての貨幣とは異なるため資本としての貨幣と呼ばれる。
資本とは、それ自体が価値を増殖してゆくもののこと。すなわち、資本としての貨幣とは貨幣が貨幣をドンドン生んでゆくということ。
マルクスは資本の目的をこう言い切る。
目的は、(中略)利益を絶え間なく得る、ということだけである。
『資本論』第1巻 第4章より
ここまでは的場昭弘氏の解説。ここから森永卓郎氏が加わり対談形式となる。
森永氏「大学時代に資本論を読んだときは、資本論が書かれた当時の社会背景を分かっていなかった。いかに厳しい労働環境が強いられ、搾取されていたのかを。」
資本論では捕えきれない、オタクの世界独特の経済法則
森永氏「オタクというのは生産者と消費者が一体。あるときは生産者として商品を販売し、あるときは商品を買う。が、G=W=G' ではない。純粋なオタクには資本家はいない。」
的場氏「まさに資本主義以前の世界。(労働価値的に)なんの価値がないものに価値を見出す。」
森永氏「しかし、その一方でオタクの世界にも効用価値説は適応される。」
- 効用価値説
- 近代経済学が採用している考え方。「その商品によりどれぐらい幸せになれるのか」に基づいて価値が決まる。
森永氏「商品を買うことでウンと満足できるのであれば払えるだけ払ってもらって構わない。コストを無視し、買い手の主観的価値によりその商品の価値が決まる。村上隆氏のフィギアには何十億もするものがある。コストはそれ程かかっていないはずだが、市場にてその価格で売れ、買った人がそれで満足しているのであれば良いではないかということ。」
的場氏「それは特殊な商品と呼ばれるもの。マルクスも多趣味で、ある意味オタク的な傾向があった。ワインのマニアで、資本論の中ではワインの値段に言及することを避けようとしていた。特殊な商品は、資本論の対象にはならない。」